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詳しくは書きませんが(笑)


いつ起こるのか私は詳しくありませんが、アセンションは起こらないと思います。


これ、よく考えれば解ることだと思います。


確かに、精神的な進化は歓迎しますが、これを考えた方は理解しているのでしょうか?


神様仏様は常に、誰にでも「平等」であるということを…。


この世は滅びないし、次元が変わることはありません。


人類は、このような内容を何千年も前から繰り返しています。


自分の人生を良くするのは自分自身です。


偏った信仰や愛では人生は良くなりません。


何事にも誰にでも「感謝」をしていれば「愛」に変わり道が開かれます。


来年は「感謝」の年です。


あらためて考えてください。


アセンションという言葉に惑わされませんように。






では、今年一年、こんなオッサンの変な書き込みを読んでくださり、
本当にありがとうございました。

それでは、よい明日を!(笑)



◯ファンの方へ(笑)

いつもありがとうね。
励みになっているよ。
ありがとう。
来年も宜しくね??
by fujipapa-sas | 2012-12-31 11:03 | 考え | Comments(0)

昨日書いた「ちょっとだけ」

ちょっとエッチな妄想をした方がいたらしく、アクセス数10倍(笑)

これからは、期待を持たせないように気をつけてタイトルを書かなきゃだは(笑)

期待されて訪れた皆様、オッサンのブログでごめんねごめんねぇ〜(笑)





では。
by fujipapa-sas | 2012-12-30 16:58 | 考え | Comments(0)

木の葉が舞う意味。

小高い山に御参りに行くと、風に煽られて落ち葉が落ちてくる時があります。
まぁ、山には木々がたくさんありますからあたり前のことですよね(笑)
けど、しばらく前から、その落ちて来る葉に、
「ありがとう。」ということが多くなりました。
自分でも無意識に落ちて来る葉に挨拶(笑)
なぜに挨拶をするのか、私本人が解らなかったのですが、最近答えが出ました。

木の葉は、木の幹から離れる時が「死」に値します。
春に芽が出て夏の日差しを浴びて秋に色付き冬に役目を終えます。
人の寿命からすれば、短い命です。
ですが、木の葉からすれば、虫にも食べられず暴風雨にも耐え使命を果たした。
そのように木の葉としての一生を全う出来たことは、木の葉としても感謝なのでしょう。
ですから、木の葉が枯れて地面に向かって落ちて行くということは、
最後の感謝の意味があるのだと思います。

そう、木の葉は枯れて果てたあとに「感謝の舞」を魅せているのです。
木の葉の、ひとつ一つが、それぞれの舞をしているのです。
なんと素晴らしい感謝の表現方法なのでしょう。
私は、その最後の舞を見て「ありがとう。」と言っていたのです(笑)

そのことに気づいてから、落ちて行く木の葉の舞が華麗になったことは内緒です(笑)



では。
by fujipapa-sas | 2012-12-29 14:37 | 自然 | Comments(0)

神の領域に入ろう。

宗教?

いやいや、そんなことは考えなくても大丈夫。

大丈夫?

いやいや、そのような心配は御無用(笑)

誰にでも、心の中に神様がおります。

だから、精神なんです。

心の病とかを「精神病」というでしょ?

だから宗教もいらないのです。

いやいや宗教は必要だよと言う方もおられるでしょう。

でも、慈愛やLOVEを語っているのに、なぜに世の中は争いだらけなのでしょうか?

信仰心が高ければ悟れるようなものなのでしょうか?

うまく言えないですが、領域に入るには自分を自然にしなければなりません。

自然と(地球と、森羅万象と)一体化しなければなりません。

私たちは、小川を流れる笹舟。

大河に出るには、大海に出るには、大きくならなければなりません。

そのためには、自分を見つめ、恨みや憎しみを消さねばなりません。

そのままでもいいでしょう。

というか、普通は最後まで、物質欲に囚われ抜け出られることはありません。

でも、今の時代は、今ままでとは違うのです。

なぜ、世の中の情報量が増えたのでしょう?

いま生きている方々は、今までの時代の中で一番恵まれています。

気づくチャンスが増えたのです。



つか、長くなったので、まとめです(笑)



自然を感じ、自然に感謝して領域に入りましょう。
大変だけど大丈夫。
だって、自然なのだから…。



では(笑)
by fujipapa-sas | 2012-12-27 14:02 | 感覚 | Comments(0)

恨みが消えた時。

恨みを消すことが出来た。

ここまで来るまでに43年かかった。

でも、恨みが消えるまでの時間は一瞬だった。

いまの私の考え方と相手の考え方が同じだったからだ。

常日頃から思っていたことを、私が話したことによって確信したようだ。

何度も頷きメモまでしていた(笑)

全ての恨みが消えたとは思わないけれど、
心臓の辺りに光が灯火のように輝き始めたのが見えたから大丈夫だろう。

灯火でもいい。
深い闇の中に、小さいロウソクの灯火が光り輝いていることを想像したら…。

恨みは消えた。

あとは、本人の持っている闇との戦い。
どこまで、愛で闇を溶かし消し去ることが出来るかだ。

43年の恨みを私にぶつけてきた。
本人の想い苦しみ憎しみ全てを。

私は、愛で包んだ。
憎しみは全て消えた。
恨みが慈しみに変わった。
話が終わると、弟の顔つきが変わっていた。
殺気が消えていた。





恨みが消えた時、ひとは領域に入り始める。
そこには、宗教も世間の目も時間も空間も全てが自然になる。
領域は、俗にいう「空」であるが、本当は「自然」なのだ。
弟は自然になった。

今日の弟の見る太陽は、今までで一番光り輝いていることだろう。

弟よ、ありがとう。




では。
by fujipapa-sas | 2012-12-27 13:44 | 感謝 | Comments(0)

感謝の勝利。

前に、総攻撃が始まったと書きました。

まだ、品を変え形を変えて攻撃して来ます(笑)

でも、私も日々進化していて、私の品も形も変わっています。



怒りは何も生みません。

いや、不幸を生むかな?

人生の流れも悪くするし、怒りには、ろくなことがありませんね(笑)

自分の人生の流れが良くなり始めると、必ずイライラすることが起きます。

単純に怒りに任せると、後で取り返しのつかない事態になります。

短気は損気とはよく言ったものです。

前にも書きましたが、いまの私は変わり目です。

それも、いい方向に向かっています。

いままでの人生を振り返ると、奇跡のような変わり目です。

なので私はいま、全てのことに感謝しています。

感謝をすればするほど、自分の人生がよい方向に向かっているのが解ります。

嫌なことが起きても、感謝をしていれば必ず勝利します。

勝つまでは大変です。

でも、根気よく感謝を続けてください。

必ず、勝利しますから。






では。
by fujipapa-sas | 2012-12-19 19:53 | 感謝 | Comments(0)
ひとは、幼少期のことを忘れていることが多い。

大人になると、毎日いろいろなことがあって人生を振り返る時間もない。

そして時間があったとしても、自分の未来に起こるであろう出来事の期待感ばかり。

ネットや雑誌では、未来が良くなる方法の情報ばかり。

それを読んで、大人であるあなたは、自分の心が仏様のようだと思い始める。

いいことをして、人に好かれることもして、社会人を装っている。

いい場所や、よい物を食べて健康にも気をつけている。

でもね、それでは根本的なことは変わらないのです。

いまが「いい人」でも、心の底に「他人を恨む」という心がある限り、無理なのです。

幼少期のことだけでなく、なにかにつけて「恨む」ということをしていては無理です。

「恨む」癖がつくと、知らないうちに恨んでばかりの毎日になる。

感謝をしていると言うかも知れません。

でも、奥底には「恨み」が見えてしまう。

人生は短いのです。

でも、ひらめきは光の速度より速いのです。

自分を見ましょう。

「恨み」の紐を解きましょう。

どんなに愛に満ちた笑顔をしたとしていても「恨み」がある限り幸せにはなれません。

物質的な幸せを求めるならば「恨み」を持っていても構いません。

でも、縁側で日向ぼっこをしてウトウトしているような幸せは来ません。

紐を解きたいのでしたら幼少期まで遡り、いまの大人の眼で冷静に自分を見ましょう。

急がなくていいですから、ゆっくりみましょう。

紐が緩み始めたら、あとは、光よりも速いですからね(笑)




愚痴や文句は自分の人生を紐でぐるぐる巻きにしてしまう。

紐でぐるぐる巻きにされた体で歩けますか?




さて、私も愚痴や文句を言わないように、理解出来る心になろう(笑)

いまからがいいから嫌なことが起こる。

邪魔なんて、その程度のことしか出来ない。

嫌なことがあったら、人生が上向きになったんだと理解しましょう。

嫌なことを恨めば、それが邪魔の思うツボ。

「恨み」は人生の錘りにしかならない…。





では。
by fujipapa-sas | 2012-12-16 13:41 | 考え | Comments(0)

神の領域。

闇を知れ。

魔を知れ。

深い闇に包まれた己の闇を知れ。

闇の奥にある己の汚れを知れ。

己の中に潜む魔の闇を知れ。

常に闇を感じ、魔の恐ろしさと法則を知れ。

何度も失敗してもいい、法則を感じ、法則を学べ。

闇に、魔に流されるな。

諦めたら終わり。

必ず、法則があるのだ。

怒りや憎しみが、いつのタイミングで起きたのか?

学ぶのだ。

知るのだ。

領域に行くには、闇を魔を知らなければ入れない。

法則を知っていれば、領域の手前で戻されることもない。

己の中の神の領域に、肉体がある内に戻るのだ。

神も、魔も、全て法則に則って我々を導いている。





この文章は、よく考えていただければ理解出来ると思います。
なので、書き込みました(笑)

では。
by fujipapa-sas | 2012-12-07 23:59 | 感覚 | Comments(0)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心