カテゴリ:千日行( 77 )

恐怖神(きょうふしん)

最初の千日行でのこと。

仕事をしてからの御参りだったので、毎日、夜に御参り。
最初の御参りでは、険しい山道の参道を使わずに御参りしていた。
アスファルトの曲がり道を歩いていたので、視界は良好で今よりも楽だった。

車は入れない山なので、夜には誰もいない小高い山だから、少々怖い(笑)
暗闇は深くて樹々に色は無く、モノクロの世界。
冬になると、生き物の気配も感じることのない静かな世界だった。

最初の千日の時には、知合いの方達を夜の御参りに連れ出したこともあったが、
全員が、その闇の深さに恐怖を感じ、山の入り口で「うっ!」と声をあげた(笑)
勘の鋭い者は、その闇の中に、なみなみならぬ気配を感じ、帰る者さえいた。


恐怖心は誰もが持つモノだ。
それが普通だが、それを受け入れられれば心は強くなる。
強くするには、考えればいいのだ。

私も最初は怖くて、山の奥で落ち葉のガサガサという音を聞いただけで驚いていた(笑)
なにか生き物の気配を感じると、その方向に石を投げていた(笑)
ある時、こんな言葉が浮かんだ。


『よく考えろ、動物以外に何がいる。恐怖は自分が作っているのだぞ。』と…。


この言葉が浮かんだ時に、この恐怖心は他のことにも言えることだと感じた。
恐怖心だけでなく、疑いや嫉妬に欲望などなど、全て自分が作っていると。
よく考えてみれば、全てが解決するし、自分を見失うこともないなと。

怖いと思う心が、恐怖の神様をも作り出す。

それを理解してから、夜の山で物音がしても動物だなとか、風だなオバケだなと解るようになった(笑)
何があっても冷静に判断出来るようになった。
物音にも感謝ですね(笑)


さて、この春から天災が起き始めます。
冷静な判断が必要な時代が来ましたので、恐怖神を作らずに心で考えましょう!
心を柔らかく保つことで、自分の運命がいい方向に進みます。

恐怖神は、自らが作り出した闇の神様。
心を見つめていれば入られることもない。
よく考え、自分を楽しんでいれば幸せな人生になる。

その神様の正体を知ってから、私には闇が寄り付かなくなった(笑)
でも、それでも、身体の調子が悪いと不安とセットでやってくる(笑)
弱い自分を磨いてくれる神様なんだと、感謝しながら「負けるかコノヤロー!」だ(笑)


では。


by fujipapa-sas | 2019-01-12 23:07 | 千日行 | Comments(2)

闇と魔物

今日の夕方、旅先から戻って参りました。

一昨日の夕方、久しぶりに暗闇の小高い神社の下に御参りに行きました。

旅に出て参りますと報告に…。



街灯ひとつない小高い山。

もちろん、下の神社にも街灯はありません。

眼の悪い今の私では、下の神社さえも暗くて御参りがし難い。

よくもまぁ、懐中電灯も点けずに、頂上まで千日も歩いて御参りしていたものです(笑)

急な岩だらけの坂道も、急勾配の階段も無灯火でした(笑)



久しぶりに見る闇は、もの凄く深い渦のようで、魔物もうじゃうじゃ(笑)

でも、私が鳥居をくぐると汐が引くように木立に隠れた。

闇と魔物に御礼を伝えると、自然と涙が出ました。

これほどの闇と魔物の中を、普通に御参り出来たのは、闇と魔物が見守っていてくださったから。

この書き込みを見て笑う方がいたら笑えばいい(笑)

それが「普通」だからだ(笑)



私は「普通」じゃない。

小高い山の闇を見て再認識しました。

だもの、昨日御参りに行った大雄山の皆様の歓迎も変化するわけです(笑)

龍神の樹の前で、初めてお祓いを眷属から受けました。

他人様には解らない方法でね(笑)



いろいろと、ありがたいことです。



では。





by fujipapa-sas | 2018-09-24 21:27 | 千日行 | Comments(0)

『そのために助けた。』

「もう一度、連続の千日行がしたいです。」


『そのために助けた。』


この一言で、いま、私は救われました。

私の神仏様は、私に嘘はおっしゃりません。

そして、この意味の重大さも私は知っています。

だから、つい、ニヤリと笑ってしまった(笑)

また、命をかけて生きることが出来る幸せ。

ありがたいことです。




では。





by fujipapa-sas | 2018-09-16 00:23 | 千日行 | Comments(0)

非公開さまへ

非公開さまへ、なんとなく不安になっていると思ったので、特別サービスです(笑)

今日のような地震や昨日の台風で亡くなられた方もいらっしゃいます。

私の祖母が昔に話していた言葉があります。

「人間は病気や事故で死ぬんじゃなくて、寿命で死ぬんだ。」って。

だから、病で苦しいとは思いますが、長生き出来る可能性もあります。

それは、なにがなんでも生きるんだ!という心です。



ここからが内緒になるので、しばらくしましたら非公開にしますね。

私が、3年前の9月から、この2月まで御参りしていた時、あるお願いをしていました。

知合いの方の5歳になるお孫さんが、リンパ性の癌になりました。

頭と喉に拳大の腫瘍が出来ていたのです。

それを聞いた瞬間、あぁダメだなと普通は思いますよね。

でも、私は、必ず助けますと言い切ってしまいました(笑)

その日から、御参りの時に元気になるようにお願いすると、時間はかかりましたが小学校に行けるぐらい回復!

入院中は、もの凄く大変だったそうですが、とても頑張ったそうで今でも元気にしています。

他にも余命3ヶ月だった知合いの中年男性が、一年以上の延命されましたし、行きつけの床屋のオジさんは、

脳梗塞と心筋梗塞を発症し、生死を彷徨いましたが無事に健康になったり、

30代後半の女性は、御参りに50回程度来ていたら、5歳から聞こえなくなっていた左耳が聞こえるように…。


まだまだありますが、自分が生きたいと思っていれば、奇跡は起きるのです♬

きっと、一日が過ぎるたびに恐怖感が押し寄せてくると思いますが、そこは明るく考えましょう!

明日は何をしようか?とか、何を食べようか?とか、食べられないのなら治して食べるぞ!とか(笑)

明日に出来ることを考えて就寝しましょう。

生きたいという気持ちが強ければ、5歳の子のように元気になれます。

最後まで諦めてはいけませんよ♪

私も棺桶に半分足を突っ込んでいるような感じですが、まだ死ねないんだよ!と毎日を楽しんでおります(笑)



いつかお逢いしてカラオケでも出来るといいですね🎵

いろいろと考えることも多くて大変だと思いますが、前向きに進路変更して楽しみましょう!


私も50年の人生で何度も死にはぐりましたが、気合いを入れていればなんとかなりますよ(笑)

元気に癌張り(癌を張り倒すという意味でw)ましょうね♪

では、期間限定です。



では。




by fujipapa-sas | 2018-09-06 23:47 | 千日行 | Comments(1)
さっき、シャワーを浴びていたら、突然、その意味が浮かんだ。

自己流で申し訳ありませんが、書き込んでおきます。

私の千日行で、2千回は唱えた祝詞です。


その言葉の中で、眼に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を見ず…という部分があります。

そのような部分の解釈が、私は他の方々と違っていました。


お前の眼に見える不浄を、心である神様は見えないというか見破っているよ。

耳や口、鼻や舌や心で感じる不浄も、神様は知っている。

知っているから、自分の心に傷として残すことは無い。

お前の心は傷つかないのだ。

それは神様が護っているからだ。

だから、そのことに気づけば、お前の人生には花が咲き、清くて正しいことが起きる。

それを知ったとき、命あるもの全てが自分自身だと気づく。

お前も神様なのだ。

だから、自分の六感と身体を大切に感謝して生きてゆきなさい。

その思いは、必ず叶うからね。

こんなイメージが湧きました(笑)



言わない、聞こえない、見えないという感覚は、神様だから穢れないのだ。

そう、あなたの心が神様だからだ。

あなたが神様ならば、魔物は近づけないでしょ?(笑)

ただ、そこまでに辿り着けることは大変なんだ。

神様は、人間が思っている以上に心の隅まで監視しておられる。

なぜ、嫌なこと(不浄)が見えたり感じたりするのだろう?

不浄が心にまで届いてしまうのだろう?



感謝をしていれば、その意味に気づくよ。

いつも自分のことばかり考えていたら、心の神様も助けてはくれないよ。

優しさのない人に、幸せな人生は来ないよ。

たとえ、物質的な成功を収めていても、本当の幸せは来ない。

見せかけの優しさなんて、メッキよりも剥がれやすいことを知りました(笑)



とりあえず、今日はここまで(笑)



では。








by fujipapa-sas | 2018-09-04 00:08 | 千日行 | Comments(0)

己を捨ててこそ

『己を捨てなくば、先は見えぬものなり。』


自分を捨てなければ、千日もの間、御参りは出来ませんでした。

自分の都合を優先していれば、御参りは後回しになる。

普通の神社ならば、自分を捨てなくても御参り出来たかも知れない。

小高い山の神社は、毎日の御参りでさえも拒む神様。

自分を優先すると、必ずといっていいぐらい御参りに行けません。

自分の身体を優先しているだけでも、御参りさせていただけない。

身体あっての人生なのに(笑)



人様のために、なにかをするのならば自分を捨てなければダメだ。

見せかけの願いは、神様は最初からお見通し。

願いが叶ったとしても、それの根源は違う。

自分を捨てることは、もの凄く難しいけれど、その先に人生の答えがある。

なにも求めてはいけないのだ。



他人様のためといいつつ、儲けていたり、有名になろうとしている輩様はお気をつけて。

その代償は、あの世で払うことになる。

幾重にも人生は重なる。

来世の基盤が、腐った土地のようになってしまう。



己を捨てるにしても、自然にしなくては無駄だ。

他人様のためというのは難しいことなり。




では。





by fujipapa-sas | 2018-08-13 21:27 | 千日行 | Comments(0)

助太刀無用

『助太刀無用』

私には、助太刀無用みたいです(笑)

助けを求めたとしても、助けられる人はいないみたいです(笑)

理解しえるレベルではないからです。

私よりも凄い霊感やパワーを持っている方々はたくさんいらっしゃいます。

でも、私の修行と世界観が特殊な修行だったから助けられないそうです。

最近、他の方々との違いを感じています。

私は、独りで歩むタイプ。

助けを求めるのならば、独りで散りたい(笑)

だから、助太刀は無用なのです(笑)




さて、頑張ろう!


では。






by fujipapa-sas | 2018-07-13 23:53 | 千日行 | Comments(0)

再開

月曜日から御参りを再開しましたが、中断する前の御参りとは質が違うことに気づきました。

祝詞をあげている時に、もの凄く静かな気持ちであげられています。

雑念も少なく、自分の声も軽やかで澄んでいるように聞こえるのです。

最近、YouTubeで神様に歓迎されているサイン…というのを見つけましたが、すべて当てはまります(笑)

御岩神社様に御参りに行った時も、下り始めて小雨が降って来たので少しだけ止んで欲しいと願うと叶い、

車に乗り込んでから「ありがとうございました。もう大丈夫です。」と考えたら土砂降り(笑)

でも、途中で寄った磯崎神社様の近くの食堂に着いたら小降りで、御参り中も小降り(笑)

帰りの高速では土砂降りと、まぁ〜守られてる感と歓迎感がハンパない御参りでした(笑)

その影響なのでしょうか、小高い山の歓迎も露骨に解るように歓迎サインを体感させてくれます。

というか、私の感度が御岩神社様に行ってから上がったようです。

頭の中に浮かぶ言葉も、今までとは何となく違いますし、体調もいい。

御岩神社様を御参りして降りている途中で後輩に、身体が軽くなった気がすると話すと、

「ここはそうなるみたい。さっき登っている時にも、すれ違った人が同じことを言っていたよ。」

と話してくれました。



病院に2回も入院してテレビも見ずに過ごした期間、自分を何度も見つめ直したことが、

きっと神々様に伝わり、評価していただけたのではないかと感じています。

テレビを見ると、食べ物の映像ばかりでお腹が減るし、嫌なニュースばかりで疲れる(笑)

だから、天井ばかり見ていた(笑)



本当は、医学的に言えば、小高い山に登るような激しい運動は今も厳禁!(笑)

その証拠に、頂上の手前でブドウ糖を舐めないと目眩(めまい)が酷くてクラクラする。

けれども、奇跡の起こる山だから再開した(笑)

おかげで、血糖値も安定し、血圧も低くなり体調が回復して来ました。

でも、肉体的に疲れが残ると面倒なので、週末は休むことに決めました。

連続で御参りすれば、誕生日には千日を簡単に迎えられるのですが、それは止めます(笑)

まだまだ病人の状態ですので、医者が知ったら止められることでしょう(笑)

ゆっくりと神様の歓迎を受けながら、静かに御参りをコツコツと重ねるつもりです。



今回の御参りの再開は、何気に凄いと感じています。

ありがたいことです。



では。







by fujipapa-sas | 2018-05-18 00:36 | 千日行 | Comments(0)

桜散る。

去年、小高い山の神社に咲く桜の樹に言ったんだ。

「来年も、素敵な花を見せてね。」って…。

一昨年も同じことを話しかけたときには、

『逢えるから、安心しなさい。』だった。

去年は無言で、何故だろうと思っていた。

こういうことだった。

まさか、千日が本当に途中で終わって、桜も病室の窓から見るとは思わなかった。

それも、両目が悪いから、白くハレーションしていて見えなかった(笑)



人生は面白い。

全てが思い通りに行かないから面白い。

来年の桜が見られることも解らないけれど、身体を大切にしていれば見られることだろう。

そう考えれば、今年の冬あたりで合併症で死んでいたかも知れない私にとってはありがたいこと。

心も身体も他人様も大切にすれば、この先の人生は幸せに生きて行ける。

病は心を育ててくれる、ありがたい出来事。

桜にも感謝だ♪




では。






by fujipapa-sas | 2018-04-21 00:10 | 千日行 | Comments(0)
赤ん坊は、何も持たずに生まれて来ます。

言葉も欲望も、怒りや憎しみも何も持たずにです。

人生はいろいろなことがありますが、その壁を越えて死ぬことが生きる目的なのです。

死は、つねに側にあります。

だからこそ、毎日を大切に生きて感謝していなければなりません。

赤子のように死ぬためには、いつも心を穏やかに感謝を持って生きなければいけないのです。



ここから先は、みなさまでいろいろとお考えください(笑)

では。






by fujipapa-sas | 2018-02-07 22:22 | 千日行 | Comments(0)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心