強い神様ほど隠れる。

神様が、見返りも考えずに助けてくださることは、神様からすれば普通だ。

人様は、見返りを考えていないといいながら自分の行いを示そうとする。



なにも出来なかった私が言うのもなんだが、私ならば警察に渡して姿を消す。

いろいろと後になって面倒だからだ。

驚いたのは、いままでのボランティア活動の映像があることだ。

服装や雰囲気で目立つから記録されていたのだろうか?

でも私ならば、そういう時は写さないでくれと伝えるし、わざわざカメラの前で目立つことをしない。

私は小・中学生のころ、カブスカウトやボーイスカウトでボランティア活動はしていました。

子供心に、他人様に喜んでもらえることがうれしくて元気に活動していました。

他人様のために手伝えることをすることは、私からすれば普通のこと。

だから、大きくなってからの凄い武勇伝的なことは誰にも話していない。

だって、話す必要がないから。

出来ることをしただけ。



確かに、子供を助けたことは凄いし、ボランティア活動も凄い。

でも、本物ならば姿を現さないはずなのだ。

私は本物ではない。

その証拠に、こんな文章をブログで綴っているからだ。

私が本物に変化した時には、このブログは更新されない。

神様は、姿を現さずに自然に助ける。

いろいろな場所で取材を受けて記録されていることを、私は疑問に思う。



お盆の時、実家に線香をあげに行くと、親父の幼なじみのオジさんがいた。

数年前に、一緒にお寺参りをしたことのある方だ。

いまも、各地の神社やお寺に時間があると御参りに行っているらしいのだが、

3年ぐらい前に、御岩神社様にも御参りしたことがあったそうで、御神体が見つからなかったとのこと。

私が「あそこは本物の神様だから、姿を隠しているみたいですよ。」と言うと納得していました。

そのオジさんも、「あそこに行ったら他とは雰囲気が違う感じがした。」と…。

本物は姿を隠すのだ。



心眼を開いて視れば、美談の裏側も視える。

私には出来ない立派なこと。

だからこそ、目立たぬようにして欲しかった。

他人様を救うことは、いろいろな意味で難しいのだ。



では。





# by fujipapa-sas | 2018-08-18 00:22 | 神霊(しんれい) | Comments(0)
正直な話、体調も悪く腎臓の数値も悪化し始め、左眼の経過もよくない。

先日、左眼が少しでもよく見えればいいかなと眼鏡屋さんに行くと、作れませんと言われてしまった。

確かに、文字どころかベースの色がなんとなく視えるだけでは話にならない(笑)

心臓付近の痛みもあって、ネットで調べたらどうやら心臓神経症というやつみたいだ。

でも、医者と薬は大嫌いだから気合いで誤摩化している(笑)

原因はストレスだとわかっているし、いまは我慢するしかない。

無職だし、体調は悪いし、左眼も見えない、本当に大変だけれど、そこに意味がある。

今を越えれば明るい世界があるはずだ。

今までがそうだったから、今回もそうなる(笑)

苦しいと感じていれば、もうそこで終わりだけれど、自分を信じていれば必ず開けてゆく。

まぁ、そういうことは解っているけれど、今回はキツいな(笑)



でも、頑張らなきゃ!



では。




# by fujipapa-sas | 2018-08-17 00:14 | こころ | Comments(5)

私の特性?

私には、小さい頃からの特技というか特性が備わっている。

いろいろな特性の中に善と悪の特性があり、人によってはもの凄く欲しがる能力もある(笑)

紹介したいところですが、信じていただけないと思うので一部だけ(笑)



この力は悪になるのか解らないのだけれど、子供の頃からあった特性(能力)だ。

それは、私にだけついた嘘が必ずバレるということ。

それも、嘘をついた本人に気づかれないように私の耳に入る。

すぐにバレる場合と年月が経ってから入る場合に別れますが、確実にバレます(笑)

もう、私に嘘をついた本人が聞いたら驚くぐらい正確に教えてくれることが起きる(笑)

他人様が教えてくれる場合と、本人の行動が教えてくれる場合だ。

神仏様は、あまりそういうことには興味がないようで教えてはくれません(笑)



この特性は、一種の霊感にも通じるのかも知れませんが、信頼している人の裏側が視えてキツいから辛い。

普通ならば、自分についている嘘を聞けば怒って問いただすことでしょう。

でも、私は、それを知っていて普通に相手に変わりなく接します(笑)

だけれども私も人間ですから、そういう方とは距離を置き始めますし、あえて嫌われるように仕向けます。

なぜならば、そういう人は救えないほど黒いからです。

手を差し伸べても、本人が気づかない限り変わらずに死んでゆく。



私には、もう一つ、善というか白の面での特性があります。

たくさんの人に言われるのですが、人生の変わり目に現れるということです。

もちろん、いい方向に変わるという意味ですよ(笑)

でも、その方の業が黒いと必ず離れます!

だからといって、私から離れて急に不幸になるということはありませんからね(笑)

20年前に人生が変わった御礼だと言って、1000万円くれると言われたことがありました(笑)

もちろんいただきませんでしたが、その方は黒い方でしたので徐々に離れて縁が無くなりました。



私も嘘はつきます。

でも、絶対にバレないようにします(笑)

それも愛だと思うからです。

けれど、私に嘘をつく方は覚悟していてください。

その嘘は、必ず時間が経って私の耳に直接入って来ます。

いろいろな偶然という必然でね。



私に嘘をつくのだから、人生が変わる訳もない。

私は他人様のために、ニヤリと笑いながら命を賭けられる人間(笑)



さて、この辺にしておかないと自意識過剰のバカだとバレてしまう(笑)

今回の話を信じるか信じないかは、あなた次第です(笑)




では。



# by fujipapa-sas | 2018-08-16 00:52 | 神霊(しんれい) | Comments(0)

己を捨ててこそ

『己を捨てなくば、先は見えぬものなり。』


自分を捨てなければ、千日もの間、御参りは出来ませんでした。

自分の都合を優先していれば、御参りは後回しになる。

普通の神社ならば、自分を捨てなくても御参り出来たかも知れない。

小高い山の神社は、毎日の御参りでさえも拒む神様。

自分を優先すると、必ずといっていいぐらい御参りに行けません。

自分の身体を優先しているだけでも、御参りさせていただけない。

身体あっての人生なのに(笑)



人様のために、なにかをするのならば自分を捨てなければダメだ。

見せかけの願いは、神様は最初からお見通し。

願いが叶ったとしても、それの根源は違う。

自分を捨てることは、もの凄く難しいけれど、その先に人生の答えがある。

なにも求めてはいけないのだ。



他人様のためといいつつ、儲けていたり、有名になろうとしている輩様はお気をつけて。

その代償は、あの世で払うことになる。

幾重にも人生は重なる。

来世の基盤が、腐った土地のようになってしまう。



己を捨てるにしても、自然にしなくては無駄だ。

他人様のためというのは難しいことなり。




では。





# by fujipapa-sas | 2018-08-13 21:27 | 千日行 | Comments(0)

いくえもの

『幾重もの人生を重ねて生まれて来る。』


人は、いくつもの人生を生まれ変わりながら産まれて来る。

そのことを、いまの人生で理解し、全てに感謝すれば道は開けて来る。

前世よりも、いまが大事なことであり、いまに感謝せねば道は見えない。



では。




# by fujipapa-sas | 2018-08-13 20:44 | 神霊(しんれい) | Comments(0)

人様の見分け方

どんなに人柄が良くても、性格というか本性というか心というか、

そういう部分を簡単に見分ける方法があります。

それは食べている時に、肘をついて食べているかどうかです。

食事中に自分を隠せる人もいますが、肘をついて食べる癖は消せません。

食事は、その人だけでなく、その方の家柄も出ます。

どんなに裕福でも、上品にしていても肘は嘘をつけません。



私は、一緒に食事をする方の肘を必ず観察しています。

どんなに立派な肩書きや人柄でも、食事の仕方で性格が見えます。

食事は生きていくうえで、とても大切なこと。

自分の命を繋げてくれる命。

食べきれなくて残すことは仕方がないと思いますが、肘をつくことは素材や料理してくださる方に失礼です。

私は、素材や料理人の方々には感謝の念を持って食事をいただいています。

ですから、肘をついて食べるなんて考えられません。

どんなに優しくても人柄が良くても、肘をつく方には注意です。



食事中に肘をつくだけのことだけれども、いろいろと解るものです。



では。



# by fujipapa-sas | 2018-08-10 23:20 | 考え | Comments(0)

疑いを持つ者に…。

願いは純粋でなければいけない。

少しの濁りも許されない。



いま、他人様の為に願をかける時の掟が頭に浮かびました。

願いを叶えるために、なぜ公言してはいけないかを教わりました。

私は、小高い山の神様の力を知っている。

でも、他の人は知らないから、信じることが出来ない。

私が願をかけていても、その相手の方が信じてくれなければ叶わない。

だから、願をかける相手に、願をかけていると伝えてはいけないのだな。

私のように、神様を心から信じることが出来ないからだ。

それもそうだ。

まさか、私が他人様のために千日間も休まずに毎日御参りが出来るとは思わないからだ。



確かに、いままで一緒に御参りに行って、2度と御参りに行けなくなった方々は半信半疑だった。

パワーがもらいたいとか、運を上げたいとかの欲が強かった。

いまも御参りしている少数の方々は、純粋に感謝をして御参りしてくださっている。

千日行をした私のことも信じてくださっている。

私は、全ての神仏様を信じています。

だから、奇跡的なことが起きる。

ここに、それを書いたら大変なことになるから書きません(笑)



神仏様に対して、少しでも疑うことは許されないのだなぁ。

今日この閃きで、願いの純度がもっと上げられることが理解出来ました。

神仏は、人間の行動よりも、信じる心を見ておられる。

願う心も大切だけれども、神仏を信じる心が大事なのだ。

疑う心が闇を生む。



さて、頑張ろう!



では。




# by fujipapa-sas | 2018-08-04 23:55 | 神霊(しんれい) | Comments(0)

そのまま死ぬのだ。

いまのまま変わらずに死ぬんだぜ(笑)

それでいいのだろ?(笑)

普通は、自分がおかしい感覚だとか、間違っているとも考えること無く死んでゆく。

生き方、考え方が簡単に変わらないことは私も知っているし、私も中々変われない。

でも毎日、昨日よりも今日の自分の考え方生き方を変えたいと自問自答はしている。

誰がなんと言おうと、私は私の中で、自分のおかしなところや間違いを正そうとしているつもりだ。

なぜならば、いまのまま死ぬのが嫌だからだ。

1ミリでもいい、前に進みながら日々を過ごしたい。

他人様や身内は気づかないだろうが、自分の変化は自分が一番知っている。



今日は手術をした左眼の診察でしたが、急遽、注射の手術をしました。

3回目ということもあり、慣れたものでしたが、痛みに弱い人は毎回痛がるようです。

診察を待合室で待っているとき、いつも考えるのですが、年配の方々のマナーが悪過ぎる(笑)

そういう方々を見ているときに思うのです。

そのまま、もうすぐ死ぬんだよ…と。

自分の生き方が正しいと勘違いしながら死んでゆく。

人の死は儚い。

最後の最後まで進化して死のうよ。

そのままでいいのかい?



最近、思うのです。

このスピリチュアルのカテゴリーにいる方々に思うのです。

そのままでいいのかい?ってね。

神仏や先祖に悪魔に陰謀に、様々なカルトなジャンルを語る方がいらっしゃる。

本物は少数だし、本物と勘違いしている方々も多い。

私は偽物という自覚はありますので、ご勘弁させてくださいね(笑)

でも、少しでも本物になるように日々精進しているつもりです。

けれど、神仏も敬(うやま)わない輩の方々は、どうするつもりなのでしょう?

そのまま死ぬのですよ(笑)

本物は語らない。

魅せないし、飾らないし、導かないし集めない。

解りますかね?



この世の中で、いろいろと気づいている人の少ないこと。

みんな、そのまま死んでゆくのかな?

私は嫌だから、最後まで自力で頑張りますよ!(笑)

本物はね、すべてを無に出来るのだ。

無を生みたいのならば、感謝の衣を纏え。

感謝が人生を変える。

私は、感謝を纏いながら最後まで自分を昇華して死にたい。

誰になんと言われようとも…。

なぜなら、もう、その術を知っているからね♡

あとは頑張るだけだ。



あなたは、そのまま死ぬのですか?




では。




# by fujipapa-sas | 2018-08-04 00:27 | 悟り | Comments(0)

見たまま、感じたままを

見たまま、感じたままを言葉に出さないこと。

出すのならば、様々なトラブルが起きても文句を言わずに受け入れよう。

出す時には覚悟が必要だ。

なぜならば、出そうという動きが、あなたを苦しめる罠かも知れないからだ。

出せば楽になるだろうが、その一時だけを見ているようでは罠にはまる。

その意味を考えて、辛抱我慢して受け入れて乗り越えるのだ。

そこに人生の意味がある。

怒りに、悲しみに流されてはダメだ。

罠はソコ(底)にある。



自分の周りにあるイライラに罠があるということは、それをする人は…。

悟らせる人が、すべて善人だと思ったら大間違いだ。

悪人ほど自分を悟らせる。

自分が、それを受け入れて悟れば、その人は居なくなる。

そこで、その人の役目が終わるからだ。

嫌な人は感謝の気持ちで遠ざかる。



見たまま、感じたままで、それを語る事なかれ。

それが大きな渦の先の小さな波。

知らないうちに渦に巻き込まれてゆく。

魔は、常に正当なことをあなたに与えて、大義名分で悪を打たせようとする。

正義が正しいとは限らないことの意味は、そこにあるのだ。

考えるのだ。

悩み苦しみ藻掻き落ち込んでもいい。

その先に、新しい素敵な人生がある。

越えられないから変わらないのだ。

人生を変えたいのならば、考えて感謝することだ。



言葉に出す時は、人生が狂うことも覚悟して言おう。

敵が増えれば逆恨みも増える。

人様の恨みの念は、本人の無意識のところで育つから怖い。

感謝のバリアで自分を守りましょう!




では。




# by fujipapa-sas | 2018-07-31 13:15 | 考え | Comments(0)
自分が悪いのに、素直に謝れない人からは、遠慮なく離れましょう。

情があって離れがたくても、そのままズルズルと時間が流れるだけなので一緒にいるだけ無駄です。

いままでの私は、情で流されて損ばかりしていても気になりませんでしたが、

謝れないような人とは、やっぱり離れた方がいいと最近になってしみじみと実感しました。


特に、自分が悪くても謝れないのに相手のミスには執拗に怒り、謝罪を求めるような人はダメ。

そして、すぐに謝る人だとしても、表面だけの人もダメです。

謝れない人は、自分を見つめていないし反省もしないので、相手の気持ちを理解する心がありません。

その場だけの感情で、その出来事の真理を見ようとしないので、いろいろな意味で話になりません。

迷惑をかけているという自覚がありませんから、きっと同じことを繰り返します。

そんなことを情でカバーしてあげても、向こうは当然としか思っていません。

こちらは助けてあげていると思っていても、向こうは感謝の気持ちもないから繰り返す。

そんなことでこちらがイライラして人生を乱すことは、本当に無駄の極みです。


小さい頃から面倒見のいい私(笑)

もう、謝れない人、反省しない人、繰り返す人は放置します(笑)

なぜなら、思っていた以上に人生は短いと悟ったからです。

手助けはしますが、様子を見てダメなら面倒は見ません。

いままでの人生で、謝れない人にはろくな人がいなかった。

見せかけの謝りをする人も同じだ。

今ごろになって気づいた次第です(笑)

「かけた情けが仇となる。」

何度、大きな仇を返されたことか(笑)

もう歳なので、返されても受けられないから、受け流すことにしました(笑)



では。





# by fujipapa-sas | 2018-07-27 15:00 | 考え | Comments(2)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心