2018年 09月 21日 ( 1 )

小学校を卒業するまで、いたずらしたりして大人に怒られていた私(笑)

知らない大人に怒鳴られたり、ゲンコツをもらって怒られまくった(笑)

でも、子供心に、大人の愛を感じていました。

私が怒られるのは、悪いことをしたのだから当たり前だし、怒ってくれるからソコで止められる。

怒られなかったら、そういうことをしてもいいのだと歯止めが利かなかったことだろう。



大人は、昔、子供だった。

だから、どういうことをすると大変なことになるのか経験しているのだ。

自分と同じようになって欲しくないから注意したり、厳しく接したりする。

昔の子供は、そういう愛があることを少なからず知っていた。

優しい愛だけが愛じゃない。

厳しくて激しい愛も必要なのだ。

怒らない愛は、その子供の人生を無駄にする。

怒られたり注意されたり、厳しくされることで自分のしたことを考える。

自分が間違っているのか、正しいのか、相手が正しいのか理不尽なのか。

厳しくされると怖いだろうが、そうされることで心は磨かれる。

多分、私は、もの凄い数の磨かれ方をしました(笑)

父親の理不尽な怒りをいつも受け止め、愛を感じていました(笑)

怒られることになれてくると、冷静に意味が考えられるようになるのです。



厳しさの中には、必ず愛がある。

相手が理不尽なことを言っていても、その奥にある。

そのことに気づくことで、愛の深さを知り慈愛も芽生える。

怒らない優しさでは、人は育たない。

身体が老いた時、心が厳しさに弱かったら、きっとツラいと思う。

若いうちに様々な経験をして、厳しい意見に耳を傾けよう。

そこには必ず愛があるからね♪



では。





by fujipapa-sas | 2018-09-21 01:02 | こころ | Comments(4)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心