2016年 10月 18日 ( 2 )

月影

昨日の夜に御参りしたときのこと。

もう一つの頂上にある道了様の御参りから帰ろうとすると、もやに包まれた広場に月明かりが射していた。

広場の周りにある木々が月明かりに照らされ、もやが白いベールのように発光して幻想的だった。

すべてがモノクロになっていて、そこに月の光りが天からの道のように射していたのだ。

御参りのときには携帯を持たないので、この時には写真を撮りたくて思わず「持ってくればよかった。」と(笑)

しばらく月明かりの中に身を置いてから、下山し始めた。



すると途中の道で、もやが劇場のスモークのように照らされている場所があった。

道の中央が、スポットライトのように照らされている。

木々の葉の影で光りが集まっているようになっていた。



するとね、そこに大好きな祖母たちや、本家の伯父夫婦がにこやかに立っているように視えたのです。

昨日は、千日行を二度もこなしているのに、初めての出来事がありました。

道了様の祠で般若心経を唱えていると、天狗様がたくさん思い浮かんで来て、すべての天狗様が笑顔でした。

このようなことは一度もなくて、うれしい気持ちで降りて来たら、幻想的な景色とご先祖様。

もうね、涙が出ましたよ!(笑)

こんな凄い御褒美はありませんよね?(笑)

でも、まやかしかも知れないから、月に向かって言いました!(笑)

御褒美ならば、下山する途中でもやを消して、雲ひとつないお姿をってね(笑)

そしたら、すぐに叶いました!(笑)



神様仏様、そしてご先祖さまは、いつも自然の中にいます。

自然に、さりげなく、自然に隠れて見守っています。

あなた自身が、自問自答をすれば、すべて答えを自然の中に織り交ぜて教えてくださることでしょう。

すべての出来事には意味があって、それを理解するには自然を視れば解ります。

いま解らなくても、いつか時間が経過して答えが解ると思います。



月影にも答えはあります。

だから、相手があっての毎日なんて、簡単に答えが見つかるはずなんです(笑)

嫌だ嫌だでは簡単な答えでさえも見つかりません。

月影を感じられるぐらい、あなたらしく自然にいましょう。

そうすれば、すべての意味に感謝が出来ますよ♪



では。





by fujipapa-sas | 2016-10-18 23:39 | 自然 | Comments(0)

僧侶である限り

批判しているわけではありません。

では、短く(笑)


『僧侶が僧侶である限り、真の真理には近づけない。』


来週の日曜日、仙台に行くことになりました。

夜中の2時過ぎに起きて山に御参りしてから出発します。

昼過ぎに所用が終了するので、慈眼寺を訪ねようかとネットで調べたら…。



せっかくの千日が、もったいない気がしました。

私が言えることではないのは、重々承知。

メディアに出て、教えを伝えることも大事なことなのは理解出来ますが、

そのようなことをしていると、段々と真理から離れてしまいます。

ブログでいいじゃないですか?

無料で教えを伝えることが出来ます。



教えはヒントだけです。

真理は、それぞれの方の経験で花開くと思っています。

どんなに素晴らしい言葉でも、己が経験して感じない限り、目覚めることはないのです。

僧侶が、その務めをしていると言われるかも知れません。

違うのです。

すべては、すべての方の心の中にあるのです。

それを諭すには、金品やメディアはいらないのです。




普通の生活をして稼ぎ、その稼ぎで生活をし、普通に自問自答して真理に近づくことが真理。

己の経験を伝えたとしても、その方々が理解出来るはずがない。

他人の経験は、すぐに忘れてしまう。

きっかけになったとしても、その方の経験ではない。




職業が僧侶でも、僧侶であってはならない。

普通に自問自答して、隠れるがごとく普通の僧侶であればいい。




ただ、私も同じ境遇ならば、同じようになっています。

だから、いまの時代に僧侶でなく、普通の人として生まれ変わって来ました。

僧侶である限り、その呪縛から抜けることは出来ませんよ。

僧侶という職業を務めながら捨てることを考えてください。



長くなりましたが、真理とは難しいものです。




では。




by fujipapa-sas | 2016-10-18 11:44 | 自然 | Comments(0)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心