2017年 10月 31日
自光尊仏
大阿闍梨になることで、世界の人々を説き、苦悩から救える光りを授かった。
でも、待ってくれ。
今のいままで、何人もの大阿闍梨が生まれたはずだ。
なのに、なぜ、世界は悟れないのだ?
それは宗教がもたらした争いやエゴが、悟らせることを邪魔しているからではないのか?
愛を優しさを慈悲を説いても、その者に芽生えるは信仰心と傲りだけだ。
聞いたことで覚醒したと悟ったと勘違いして、自ら会得したと勘違いしてしまう。
よかれと思って苦労して会得した大阿闍梨でも、本人が目覚めない限り邪魔をしているだけだ。
大阿闍梨になったのならば、黙っていればいい。
公にならないで、そっと山奥で光りを維持すればいい。
山里に降りたときは、普通の格好で皆の横を通り過ぎ照らせばいい。
あなたは、もう仏様なのだ。
向こうの人口が何十年ぶりかに一人増えるだけだ。
それでいいのだ。
それを繰り返すことで、この世の人口が減り、その役目を地球が終えることになる。
さて、今夜はここまでだ(笑)
by fujipapa-sas
| 2017-10-31 23:24
| 千日行