穢れがあるのに穢れがない。

いま浮かんだこと。

『穢れがあっても、穢れが無ければよい。』

身体(三次元)に穢れがあったとしても、魂(∞無幻)に穢れが無ければよいということ。

六根清浄って、案外簡単なのかも(笑)





だんだんと変化してきました。

心は穏やかになるし、毎日も楽しい。

生かされている幸せも満ち満ちています。

自然は答えを返してくれるし、素晴らしい輝きを魅せてくれる。

この世は穢れの塊だけど、心はどうだろうか?

生きて行くのには穢れが必要だ。

それさえ解っていれば、穢れ無く生きてゆくことも出来る。

穢れながら穢れていない生き方でいいのだ。

それが六根清浄。

肉体は、この世の借り物。

この世も、借り物。

全てに感謝をして、穢れを理解し穢れないようにしよう。

心に、この世は干渉しない。

「ボロは着てても心は錦」




では。
by fujipapa-sas | 2013-05-12 13:15 | 悟り | Comments(0)

たわいもないオヤジの戯言。


by 一心