2010年 12月 06日
御参りしているのではなくて…。
千日行を終え、その後の百日行も終え、今日になって答えが浮かんだ。
この世で、同じような考えで御参りしている人はどれだけいるのだろう。
御参りする象徴や、宗派や、人種や年齢や全てのことに関係なく…。
なぜ、私は今になって、そのことに気づいたのだろう…。
多分、ここに、それを書いたとしても理解してくれる方は少ないだろう。
言えば解ると思う。
でも、表面的に理解出来るだけだと感じる。
今日は、久しぶりに自然と涙が溢れた。
まるで、泉のごとく湧いては涙した。
うれしくて、うれしくて…、ただ、うれしくて…。
私は、御参りしていたのでは無かった。
あの千日の期間、私は、御参りしているのだと思っていた。
辛い事も、苦しい事も、止めたい時もあった。
なのに、千日の間、休まずに御参りが出来た。
それは、御参りしていたからでは無かった。
御参りさせて頂いていたからだったのだ。
私が、自分の生活の中の時間を作って御参りしているのだと思っていた。
そうじゃないと、今日気づいた。
私の都合では無いのだ。
神様や仏様が、わざわざ時間を空けて待っていて下さったからだ。
私のような者に、貴重な時間を空けて待っていて下さったのだ。
だから、千日もの間、休む事無くコツコツと御参り出来たのだ。
そのことが浮かんだ時、涙が自然と溢れて止まらなくなった。
なぜ、千日もの間出来たのか、やっと理解が出来た瞬間だったからだ。
いまは、これ以上うまく書けませんが、我々は、御参りしているのではなく、
『御参りを許されている。』ということです。
これ以上は、あえて書きませんが、その意味を考えて頂ければ幸いです。
私は、幸せ者です♪
by fujipapa-sas
| 2010-12-06 00:22
| 悟り